「ウェブ時代をゆく」から考えたこと

ウェブ時代をゆくは「ウェブ進化論」とは、随分異なる読み方になりました。
「進化論」は、一気に読み終えてしまう、まさに頭で読む本でしたが、「ゆく」は読みながら何度も思考モードに入りなかなか読み進まないという状態です。
つまり、「自分の人生にあてはめると」とか「自分の世界では」ということを絶えず考えてしまうのです。

その中で、いくつか考えたことを紹介したいと思います。

PubMedのこと
まず、私の生きている医学界という「古い職業」には、とても素晴らしいオープンソース的なものがあること。
これはPubMed (http://www.ncbi.nlm.nih.gov/sites/entrez) というデータベースで、biomedical領域の論文が網羅されています。
私が学生の頃は、文献情報はIndex Medicusという紙ベースの本(といっても全部で厚さ1メートルぐらい)で提供されていて、キーワードから文献を探すという作業をしていました。それが90年代に入り、CDで検索できるようになり、格段に便利になったわけです。といっても検索できるのは論文のタイトル、著者、雑誌名、ページぐらいで、しかも有料でした。それがあっという間に抄録(abstract)が入り、10年ほど前から無料でインターネットで検索できるようになったのです。
ただしこれは米国政府によって運営されている点で、オープンソースとは言えないでしょう。
でもbiomedicalの世界に与えたインパクトは大きなものです。
なぜなら、この検索サイトの扱う情報は、“論文”だからです。
すなわち、「私はこう思う」的な情報ではなく、Peer Reviewされた信頼性の高い情報なのです。
しかも、journalの格(GooglePageRankに相当するのが、journalのimpact factorですが)から、論文の質をある程度判定できます。
しかも最近では、多くの出版社が無料で論文のPDFをリンクしていて、論文の全文を見ることができます。
医学の世界では、無限ともいえる情報がかなり整理され、その全文にアクセスが容易なのです。
これはすごいことだと思います。
このIT技術・ウェブリソースが医学の発展に大きく寄与したことは間違いありません。
私は、最近論文を書くときに、あるフレーズを書いたあと、その文章の一部をそのまま検索することがあります。
何故かというと、私はnativeではないので、自分の書いた英語が文法的に正しくても、「こんな言い方はしない」ということがありがちなわけです。そこで、文章の一部を検索して、何件ヒットするかをみるわけです。
たとえば、"this result suggests"と"these results suggest"のそれぞれ検索してみると、ヒットする件数が明らかに違うわけで、どちらの表現が適切かがわかるわけです。

手術のこと
手術はとても難しいものです。
よくアートに例えられることがありますが、いい手術をするのは大変で、勉強が必要です。
どうやって勉強するかというと、若いうちは職人さんと一緒で、師匠について基礎を手取り足取り教わります。
教科書も大事です。基本的な手術試技と解剖を頭で理解する必要があります。
しかし、あるレベルまで達すると、あとは学会や専門書で最新の手術方法を学びます。
医学では権威が大事な面があります。なぜなら、誰がやっても治らない病気、誰がやっても治る病気が多いからです。その場合、権威があると患者さんは感謝します。
だから、医師は権威を保つために白衣を着ます。作業効率を考えればジャージでもいいのでしょうけれど、ジャージを着た人に命を預ける患者さんは多くはないでしょう。裁判官の法衣も同じような意味があるといえるでしょう。Tシャツにジーンズの裁判官から「死刑」といわれて納得する被告はいません。
手術のやり方にも、この権威がはびこっていて、必ずしもいいとは言えない方法が、偉い大学教授がやっているというだけで素晴らしいと信じられていたり、教科書に載っていたりします。
しかし90年代以降、内視鏡手術が登場して状況はだいぶ変わりました。
権威のある老獪外科医は、この新しい手術はできませんでした。かわりに若い外科医がどんどんこの分野のリーダーになっていったのです。そして多くの分野で内視鏡外科手術が普及するとともに、立場が逆転してしまったのです。つまり外科領域では手術に関して名もない若い外科医の主張が通るムードが醸成してきたのです。
そこで、今のウェブの技術を利用すると、ウェブ上に最新の最高の手術指導書が構築できると思うのです。
世界中の外科医が、いいと思う手術の動画像をウェブ上に自由に載せ、それを見た外科医がratingするのです。
多くの外科医が参考になる、あるいはいいと思えば上位にランクされ、評価されない手技は下位に落ちる、そんなことが自動的にできるといいと思います。
そもそも内視鏡外科手術はテレビ画面をみてやる手術なので、すべて画像が残されているため、ウェブ公開に親和性が高いといえます。
難しい手術にはコツがあって、載せるのはコツの部分だけでいいと思います。手術を数分〜30分程度の細切れにして、パーツごとに評価されるべきでしょう。
優秀な外科医の手術であっても、いい部分と悪い部分がありますから。
そのようなサイトでは何十、何百という手術方法について、それぞれパーツごとに動画がアップされて、評価の高い順に並んでいれば、これはまさに手術の教科書になるでしょう。しかも絶えず最新です。
さらにいい点は唯一の術式ということではなく、数多くある方法から、自分に合う(患者に合う)方法が探せることと、権威とは関係なく「けものみち」のいい手術も出てくることでしょう。
自分にウェブ・リテラシーがあれば、そんなサイトを自分で作ってしまうところですが、このあたりは、コラボレーションが必要そうです。
手術の世界には、「好きを貫いている」外科医が山ほどいます。多くは高く険しい山には登らずに、けものみちを楽しんでいます。登山をしなくても楽しく「飯をくっていける」からです。
しかし、そのような外科医の技術を眠らせておくのはもったいない話です。
最高の手術データベースを構築して、多くの外科医の叡智を共有すれば、PubMedのように、患者さんの治療に役立つ空間となるでしょう。