ITでつながる同級生たち

先日、大学の同期会がありました。
医学部というのは、卒後ほとんどの人が医療に関わる仕事をすることもあり、結束は硬い方なので、同級生100人のうち約3分の1が集まって、会は大盛況となりました。
今年は卒後15年目の節目になりますが、中には、それこそ卒業以来という人もいて、とても楽しいひとときとなりました。
しかし、私たちの学年は特別結束が固い方なのです。毎年のように同期会を開催して、しかも3分の1が集まるということは、前後の学年の人たちからは考えられないことなのです。
この結束の固さを維持する上で大きな役割を果たしているのがメーリングリスト(ML)です。
40歳前後の集団ですから、ITリテラシーの程度はさまざまですが、さすがに電子メールぐらいはみなやっているので(実は、ひとりメールを使うことがなく奥さんのメルアドで登録している輩がいますが)、MLはうってつけのツールとなったのです。
私がMLの管理をしているのですが、95%ぐらいの同級生が登録されています。
もちろん今回の同期会の案内も、名簿の更新も、当日の写真の配布も、すべてこのMLで行われました。
このML、月に10〜20件程度のメールが流れてきますが、普段はどんなことが話されているかというと、一番多いのが他科に聞きたいちょっとしたことです。「知り合いがこんな病気になったんだけど、だれかいいお医者さん教えて」とか「最近は、治療法はどうなってるの?」という具合です。
このような問いかけが流れると、必ず24時間以内に適切な(というよりかなり水準の高い)返事がでてきます。
学生時代には、いい加減な遊び人だったような人でも、今や、それぞれの分野で活躍している人ばかりですから、この同級生100人の脳がつながっていて、その叡智がMLで共有されているというのは刺激的な話だと思います。テクノロジーとしてはローテクですが、私たちのコミュニティーにはうまく嵌まっているなと思います。
驚いたのは、このMLである相談にたいする返答に関連して、自分の子供の障害について熱く語る人がいたことです。顔の見えるコミュニティーだからこそ、これまであまり立ち入った内容は出てこなかったのですが、わが子への愛情を訥々と語る真剣さには、多くの共感が寄せられました。これはリアルの会合では出てこない反応だと言えましょう。ITが引き出した人間性の結晶だと思いました。
管理人冥利に尽きるエピソードでした。

OpenPNEはすごいかも

hiroxs-73さん、いろいろとありがとうございます。

OpenPNEは、はじめて聞いた言葉なのでちょっと勉強してみました。
これは素晴らしいですね。
UIがmixiに似ているとのことですが、mixiの使いやすさがあるなら安心です。
最新版ではYouTubeも貼れるようなので、まさに最高です。

何か期待できそうです。
しかし、LAMPLinuxApacheMySQLPHP)なんて言葉をみると、敷居は高そうです。
わかっちまえば、どってことないのかも知れませんが、独学するには荷が重そうですね。

手嶋屋としてはOpenPNEASPやカスタマイズ開発で商売する計画とのことなので、やはりお金を払う必要があるということでしょうか。

これを読むと、医局内の情報共有システムにも使えそうと、夢は膨らみます。
Web 2.0をゆくのみ!

手術教科書のコンセプト

正直、驚きました。
これだけの反響があるとは思いませんでした。
「ウェブで世の中の役に立つことをしよう」と提案すると反応があるというのは嬉しいことです。
とても勇気づけられます。まさに梅田望夫氏が著書で書いていることを、目の当たりにしている感覚です。

私自身、これで偉くなろうとか金儲けしようとかまったく考えていません。
目的は一つに、若い外科医のため、また手術を受ける患者さんのため、があります。
そしてもう一つが、こんなのあったら楽しい、です。
不謹慎に聞こえるかも知れませんが、手術とは本質的に楽しいものです。
それは「おかしい」というようなものではなく、達成感とか“やりがい”からくる楽しさです。
手術は大変だけれどもうまくいくと嬉しいものです。
患者さんの役に立ったという間接的な喜び以上に、自らの気持ちの高揚感が直接きます。うまくいかなかったときの後味の悪さは最悪です。
だからこそ、いい手術をするための情報があれば見たいし、そういうシステムを作ることは楽しいだろうと思います。
現在は、そういう情報の提供は外科学会のような医学系の学会により行われています。
学術集会では、いろいろな発表がありますが、やはり手術の技術向上につながるような演題には人が多く集まります。多くの外科医は、いい技術を得ようと考えています。
いい技術をもった外科医は、そういう場で発表をして偉くなっていきます。
しかし、偉くなくても、いい技術を持った人はいるもので、そういう技術を集めて、外科手術の「高速道路」を作るというのが私の持っているイメージです。

今回、多くの方からいただいたご意見をもとに私が考えているシステムのコンセプトをまとめてみました。

1.権利関係の処理
学術的な権利の問題は考える必要があるかもしれません。質の高い治療法は学術的価値があります。これは早く論文にした人に権利が与えられます。同じ治療法を最初に論文にした人と、最初にウェブで公開した人が違ったりするともめる可能性はあります。ずるい外科医はウェブで得たことを論文にして名声を得ようとするでしょう。しかし、もしそのようなことを平然とすれば、若い外科医からどのような反応が返ってくるかは、みなさんのご想像の通りです。自然と、マナーができてくると思います。
2.政治力学
古い世界で権威をもったエスタブリッシュメントたちは、新しい価値(ウェブの叡智)を恐れるかも知れません。これまで学会のお墨付きを得て権威づけされていたもの以外に得体の知れないものが出てくるわけですから。もちろん学会の判断には重要な意味があります。単に新規性とか学術的価値だけを判断しているわけではなく、法的、倫理的問題や、医療経済、安全性、社会的影響なども考えて権威を付与しているのです。実際、学会の重鎮の先生方は見識の深い人たちの集まりで、かなり深いところまでよく考えていると思います。したがって、ウェブの情報がリアルのシステムに取って代わるという事態はあり得ないでしょう。私が提供したいと考えているのは、ウェブの叡智という付加価値のある手術映像であり、教科書というよりは参考書的な性格のものなのかも知れません。
3.体を張って1つのプラットフォームの自由を守ろうとする人物
これは大事でしょう。私にそれが務まるかどうかわかりませんが、梅田氏の言葉を借りれば、「やめることを先に決める」しかないのでしょう。私自身、古い世界でいろいろなことにコミットメントされているわけです。それを切るのは勇気のいることでしょう。しかし、信じられる仲間がいればできそうな気もします。それだけのオプティミズムを「ウェブ時代をゆく」から学んだと思います。
4.オープンソースSNSは?
YouTubemixiなど既存のサイトを利用することもいいかも知れませんが、私は、投稿と評価は外科医に限るべきだと思っています。見るのは誰でもいいのですが、そこにはこだわりたいと考えています。ユーザー登録の際に、医師免許や外科学会会員であることの確認を行うべきだと思います。もちろん、既存の権威とは切り離したいので、ユーザーIDは匿名にしたいですね。現在あるサイトでは、ソニーグループのm3がプラットフォームの形態として理想形に近いです。ここでは医師限定の掲示板でさかんに書き込みがあり、ratingのようなしくみもあります。ただし製薬メーカーの広告でなりたっていて、ちょっと商売っ気が強いですね。
5.初めは小さくはじめるのがいい
これは、強く同意します。具体的な戦略としては最初は一つの手術から始めます。これが成功すれば、当然、他の手術もやってくれという話になりますから。だから、最初の手術では、いわゆるスタープレーヤーの手術を掲載して、注目を集めるような仕組みが大事だと思います。ちょっと専門的になりますが、LADGという手術が一番いいと考えています。なぜなら、多くの消化器外科医にとって興味のある術式で、また、この領域であればリアルの世界に結束の固い若手のつながりがあり、これが呼び水になるからです。これで始めてみて洗練したシステム作りを目指すべきと考えています。LADGを10ぐらいのパーツ(6番の郭清、HDSによるB-I吻合法、といった具合に)に分けて、それぞれに自身のある外科医が動画(恐らく5〜10分)を投稿する。おそらく一つの話題に投稿数は3〜10程度、評価者はまずは50人ぐらいでしょうか。
6.誰が動画をアップロードするのか?
これは外科医自らがやることになります。ハードルはとても低いです。外科医は自分の手術の映像を保存しています。DVDかminiDVの形で持っていますが、そこから一部を切り出して、mpegに圧縮してPowerPointに張り付けて発表するということを日常的にやっているからです。
7.動画をアップロードすることを病院側は許すのか?
病院は動画の管理をしていません。診療録は病院により管理されていますが、私の認識では、手術の動画は診療録として扱われていないようです。現実的にほとんどの病院ではビデオの管理は、医師個人で行われています。また手術の映像を残すかどうかも、現在は執刀医の裁量です。
8.自分の手術を公開される患者の感情は?
これは大事な問題です。一般に手術の映像には患者個人を識別する情報は含まれていません。したがって、ウェブで動画が公開されても、これが誰某のおなかの中だ、ということにはならないでしょう。またおなかの中が公開されて何らかの被害が発生するというケースも稀でありましょう。特に手術全体であればまだしも、数分間のパーツであれば問題ないように思います。ただし患者さんの自己決定権というのは留保されるべきで、現在では、入院時に包括的同意(「あなたの病気に関する情報は、匿名化した上で医学研究などに用いることがあります」のようなことを文書で示し同意をえること)が行われるようになってきています。患者さん個人の権利と公益性とのバランスは、判断が難しい場合もありますが、患者さんの権利保護に関して注意を払うことは重要です。
9.動画の権利(著作権)は?
最終的には個別的に司法が判断することだと思いますが、個人的にはウェブで誰もが見られる状態にすれば強く著作権を主張できないようには思いますが。ちなみに特許については、治療法は特許が取れないということになっているようです。
さいごに
悲観的な見方、否定的な意見も含めて、具体化する上ではおおきなsuggestionとなります。いろいろなご意見をいただきたいと思います。しかし、ネガティブな意見の何倍ものオプティミスティックな発言があることが、私の心の支えになります。みなさん、本当にありがとうございます。

「ウェブ時代をゆく」から考えたこと

ウェブ時代をゆくは「ウェブ進化論」とは、随分異なる読み方になりました。
「進化論」は、一気に読み終えてしまう、まさに頭で読む本でしたが、「ゆく」は読みながら何度も思考モードに入りなかなか読み進まないという状態です。
つまり、「自分の人生にあてはめると」とか「自分の世界では」ということを絶えず考えてしまうのです。

その中で、いくつか考えたことを紹介したいと思います。

PubMedのこと
まず、私の生きている医学界という「古い職業」には、とても素晴らしいオープンソース的なものがあること。
これはPubMed (http://www.ncbi.nlm.nih.gov/sites/entrez) というデータベースで、biomedical領域の論文が網羅されています。
私が学生の頃は、文献情報はIndex Medicusという紙ベースの本(といっても全部で厚さ1メートルぐらい)で提供されていて、キーワードから文献を探すという作業をしていました。それが90年代に入り、CDで検索できるようになり、格段に便利になったわけです。といっても検索できるのは論文のタイトル、著者、雑誌名、ページぐらいで、しかも有料でした。それがあっという間に抄録(abstract)が入り、10年ほど前から無料でインターネットで検索できるようになったのです。
ただしこれは米国政府によって運営されている点で、オープンソースとは言えないでしょう。
でもbiomedicalの世界に与えたインパクトは大きなものです。
なぜなら、この検索サイトの扱う情報は、“論文”だからです。
すなわち、「私はこう思う」的な情報ではなく、Peer Reviewされた信頼性の高い情報なのです。
しかも、journalの格(GooglePageRankに相当するのが、journalのimpact factorですが)から、論文の質をある程度判定できます。
しかも最近では、多くの出版社が無料で論文のPDFをリンクしていて、論文の全文を見ることができます。
医学の世界では、無限ともいえる情報がかなり整理され、その全文にアクセスが容易なのです。
これはすごいことだと思います。
このIT技術・ウェブリソースが医学の発展に大きく寄与したことは間違いありません。
私は、最近論文を書くときに、あるフレーズを書いたあと、その文章の一部をそのまま検索することがあります。
何故かというと、私はnativeではないので、自分の書いた英語が文法的に正しくても、「こんな言い方はしない」ということがありがちなわけです。そこで、文章の一部を検索して、何件ヒットするかをみるわけです。
たとえば、"this result suggests"と"these results suggest"のそれぞれ検索してみると、ヒットする件数が明らかに違うわけで、どちらの表現が適切かがわかるわけです。

手術のこと
手術はとても難しいものです。
よくアートに例えられることがありますが、いい手術をするのは大変で、勉強が必要です。
どうやって勉強するかというと、若いうちは職人さんと一緒で、師匠について基礎を手取り足取り教わります。
教科書も大事です。基本的な手術試技と解剖を頭で理解する必要があります。
しかし、あるレベルまで達すると、あとは学会や専門書で最新の手術方法を学びます。
医学では権威が大事な面があります。なぜなら、誰がやっても治らない病気、誰がやっても治る病気が多いからです。その場合、権威があると患者さんは感謝します。
だから、医師は権威を保つために白衣を着ます。作業効率を考えればジャージでもいいのでしょうけれど、ジャージを着た人に命を預ける患者さんは多くはないでしょう。裁判官の法衣も同じような意味があるといえるでしょう。Tシャツにジーンズの裁判官から「死刑」といわれて納得する被告はいません。
手術のやり方にも、この権威がはびこっていて、必ずしもいいとは言えない方法が、偉い大学教授がやっているというだけで素晴らしいと信じられていたり、教科書に載っていたりします。
しかし90年代以降、内視鏡手術が登場して状況はだいぶ変わりました。
権威のある老獪外科医は、この新しい手術はできませんでした。かわりに若い外科医がどんどんこの分野のリーダーになっていったのです。そして多くの分野で内視鏡外科手術が普及するとともに、立場が逆転してしまったのです。つまり外科領域では手術に関して名もない若い外科医の主張が通るムードが醸成してきたのです。
そこで、今のウェブの技術を利用すると、ウェブ上に最新の最高の手術指導書が構築できると思うのです。
世界中の外科医が、いいと思う手術の動画像をウェブ上に自由に載せ、それを見た外科医がratingするのです。
多くの外科医が参考になる、あるいはいいと思えば上位にランクされ、評価されない手技は下位に落ちる、そんなことが自動的にできるといいと思います。
そもそも内視鏡外科手術はテレビ画面をみてやる手術なので、すべて画像が残されているため、ウェブ公開に親和性が高いといえます。
難しい手術にはコツがあって、載せるのはコツの部分だけでいいと思います。手術を数分〜30分程度の細切れにして、パーツごとに評価されるべきでしょう。
優秀な外科医の手術であっても、いい部分と悪い部分がありますから。
そのようなサイトでは何十、何百という手術方法について、それぞれパーツごとに動画がアップされて、評価の高い順に並んでいれば、これはまさに手術の教科書になるでしょう。しかも絶えず最新です。
さらにいい点は唯一の術式ということではなく、数多くある方法から、自分に合う(患者に合う)方法が探せることと、権威とは関係なく「けものみち」のいい手術も出てくることでしょう。
自分にウェブ・リテラシーがあれば、そんなサイトを自分で作ってしまうところですが、このあたりは、コラボレーションが必要そうです。
手術の世界には、「好きを貫いている」外科医が山ほどいます。多くは高く険しい山には登らずに、けものみちを楽しんでいます。登山をしなくても楽しく「飯をくっていける」からです。
しかし、そのような外科医の技術を眠らせておくのはもったいない話です。
最高の手術データベースを構築して、多くの外科医の叡智を共有すれば、PubMedのように、患者さんの治療に役立つ空間となるでしょう。

今週は大変でした

手術と学会(講演)でドタバタでした。
木曜日は朝から病院で内視鏡を数件こなして、11時から学会会場で打ち合わせ、
午後、病院に戻り胃の手術をして、そのあと夕方から発表がありました。
金曜日は、朝から胃の腹腔鏡手術(腹腔鏡補助下幽門側胃切除=LADG)をして、
3時から、1時間の講演をしてきて、いったん病院に戻り、夜は前任地の病院の
集まりに参加というスケジュールでした。もちろんこれ以外に細かい用事もあるのですが
今日、お話しするのは、忙しいということを訴えたいのではなく、講演した内容です。

昨日は、第3回『デジタル・フォレンジック事典』説明講演会で講演してきました。
医療におけるデジタルフォレンジックを概説して、さらに、実例として、我々が開発した手術記録システムを紹介しました。

これは、手術の映像を正確に残すためのシステムです。
外科手術は侵襲の高い治療で、合併症により後遺症を起こしたり命にかかわるようなことが起きるリスクがあります。
それが外科医のミスなのか、一定の確率で起きうる偶発症なのか、事後的な検証を必要とすることがあります。
その際に、証拠性の高いビデオがあれば、適切な検証が可能ですが、改ざんされた可能性があるビデオでは検証する意味が薄れます。
そこで、このシステムにより証拠性を担保することで、万一の医療事故発生時のために、リスクマネジメントしうると考えられるわけです。

しかし、これは単なる事故のためのシステムとは考えていません。
確かな記録を残すことで、患者さんと医療側との確かな信頼関係を築き、相互理解を深めるために有用なツールになると確信しています。

医療と、大海にバケツで水を流し込む意味

本日からここでブログを始めます。
これまで、ウェブで日記的なものをやっていたこともありますが、その意義についてはあまり深く考えていませんでした。
そもそも、情報発信してみても、大海にバケツで水を流し込むようなイメージで、海からの反応が実感できませんでした。
あるいは、悪意をもったユーザの存在という漠然とした不安感もありました。
その点、SNSの方が安心感があり、読者のリアクションを実感できるので、書き込むモチペーションを維持しやすいのですが、閉じた社会ゆえに、何となく閉塞感があり、情報発信の影響力は限定的です。

最近、梅田氏の「ウェブ進化論」を読み大きく考え方を変えました。
ネットの「あちら側」の価値を、あるいはあえて「オープン」にすることの意義を、理解することができました。
実際、この概念が、「こちら側」の“わたし”にとって意味のあることか、やってみなければわかりませんが、まずは始めてみたいと思います。
「新しいもの好き」の“わたし”なので、まずは使ってみる。
しかも使用可能な機能のすべてを徹底的に。
Web 2.0がどれだけ“わたし”の実生活にインパクトを与えるものなのか考えたい。

ウェブ進化論」を読んで感じたことは、医療はまさに long-tail なサービスだということです。
ある医師がどんなに優れていても、治療できる患者の数には限りがあります。
評判のいい外科医のところには、当然患者が集まります。
でも、どんなに患者が集まっても、手術できる数には限りがあります。
週に4件のmajor surgeryをしたとして、年間に200件、外科医の生涯を30年とすると、5000件です。
もっと頑張ったとしても、せいぜい1万件でしょう。
マスを対象に商品やサービスを提供する分野とはだいぶ違うようです。
しかも、名医というのは、誰にとっても名医ではない、という現実があります。
もちろん医師の専門分野と患者さんの疾患の組み合わせもありますし、基本的に人間対人間の関わりが大きく関与するので、性格的な問題も無視できません。
たとえば、病気のことを簡潔にはっきりと言ってほしい人、オブラートに包んでやわらかく言ってほしい人など、求めるものは人それぞれです。
当然、地理的な問題も重要です。
多数にとっても名医よりも、自分にとっての名医が重要であることは言うまでもありません。

そこのマッチングをするのは、容易ではないでしょう。
少なくとも、現在のテクノロジーとコンテンツでは実現できないでしょう。
そこで、web 2.0に期待がかかります。
医師の評判をオープンにすれば、恐らく批判が続出するでしょう。
玉石混交の情報の「石」の存在が、医師の権威を下げうることもあるでしょう。
しかし、病気を治したい自分が、「玉」の情報を求めるという欲求はとても大きいので、すなわちニーズがあるので、この分野は今後拡大することは容易に想像がつきます。

レストランの評判を集めたサイト(たとえば、東京レストランガイド http://www.asku.com/rgj/tokyo/)は、私自身もよく利用しますが、とても有用な情報源と言えましょう。
もちろん、何の権威もない感想が書き込まれていて、バイアスも入っていることは承知の上で、店選びの重要な情報となっています。
その評判を読んでいて感じることは、ある人にとっていい店でも、他の人にはまったく異なる評価があるということです。
味を重視するひと、雰囲気にこだわる人、サービスを細かくチェックする人など、さまざまなわけです。

医療でも同じことが言えるでしょう。
もちろん、命に関わることでもあり、レストランと同列には扱えないとは思いますが、「あちら側」にある医師の情報を整理して提示することは、患者さんにとって有益であることは間違いないでしょうし、今後、その空間が拡大することは間違いないでしょう。
であれば、その大海にバケツで水を流し込む意義があることは確実でしょう。
なぜなら、そのバケツ1杯の水を汲み出す患者さんが、どこかにいるはずで、それをつなぐテクノロジーが進歩してきているのだから。